1章 静岡の夜明けと律令体制の成立
三ケ日人と愛鷹山麓の人々

 旧石器時代とは、約1万年より以前、地質学的には更新世(こうしんせい)とよばれる年代に属する最古の人類をさつが、列島内のこの時代に属する遺跡の多くは、約3万年前から1万2〜3千年前のものが中心となっている。
 このころの人々の生活の痕跡を示す遺跡として、愛鷹(あしたか)山麓の沼津市中見与(なかみよ)第一遺跡では台状様石器や磨製石斧(ませいせきふ)が出土し、また、拳(こぶし)大の小礫を一か所に集め、それを熱し、肉などを調理した施設と考えられる、わが国最古の礫群が発見されている。
 およそ3万年前の遺跡と推定されている。

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私の住む場所(横地)も旧石器時代の遺跡があった。

横地の旧石器時代を開く

戦後、引佐郡三ヶ日町只木(ただき)浜北市根堅(ねがた)岩水寺から発見され、「三ケ日人「浜北人」と命名されている。
 化石人骨は、紀元前1万9千年前ごろのものとされている。
 三ケ日人骨は7点出土し、成年男性2人と女性1人の人骨であることが判明しており、男性の身長は145cmと154cmと推定され、浜北人骨は、20歳代の女性で身長143cmと考えられている。
 これらの人骨発見以降、県内での調査例が増え、旧石器時代の遺跡は200ヶ所近くに達している。
 それらは、(1)天竜川左岸の磐田原台地西縁一帯、(2)沼津市の背後の愛鷹南山麓、(3)箱根山西山麓の3か所に密集している。

 このうち、愛鷹山南麓の尾上遺跡群では、環状ブロック(使用済み石器や石器製作の石屑を捨てた跡)が確認され、また、尾上イラウネ遺跡から子供の拳大の自然礫に鋭利な工具で線刻された3点の線刻礫が発見されている。
 遺物からみてみると、このころの日本列島は今日の平均気温より寒冷であったが、愛鷹山南麓や磐田原台地は落葉広葉樹や針葉樹の森を背後にもつ草原地帯であったと推定されている。