静岡の豪族居館



 近年では、首長墓級古墳の埋葬主体の生前の居住していた居宅が、各地で発見されている遺跡から
推測できるようになっている。

 群馬県の三ッ寺遺跡の発見で顕著になり、今日、各地で「豪族居館」として報告されている。

 県内でも古墳時代から後期に、そして律令時代にまで及ぶ発掘例がある。

  

 県内の前期の「豪族居館」として考えられるのは、佐鳴湖(さなるこ)を東に見下ろす台地上にある
浜松市大平遺跡である。



 この遺跡は竪穴住居跡59、掘立柱建物跡76棟、方形周溝墓1基、土坑48基が検出された
集落遺跡であるが、その集落内に周囲を溝や柵でかこった区画が認められる。
 規格性をもって配置された建物の存在からみて、集落内の特定の地位にある人物の屋敷地と
考えられている。



 中期の遺跡としては、袋井市浅羽町古新田(こしんでん)遺跡や焼津市の宮之腰(みやのこし)遺跡
などの例もみられる。

     

 上の絵は、東小学校建設の際に発見された壁画です。
古代人の生活が、大きく鮮やかに描かれたこの絵は、
ここで発見された5世紀ころの豪族の居館の遺跡から、
当時の様子を想像してあらわしたものです古新田と呼ばれるこの遺跡は、
このような構造のものの中では日本最古のもので、考古学的にも貴重だそうです。
何より、浅羽町が大昔から実り豊かな穀倉地帯だったことがわかります。



 後期の例としては、足柄街道沿いの交通の要所にある駿東郡小山町横山・上横山遺跡があり、
7世紀代は豪族居館であったとみられるが、8世紀代になると官衙(かんが)の一つである駅家と
なったのではないかと考えられている。 この例は、律令制下官衙(かんが)がどのような地に
設定されるかを考えるうえで示唆的であろう。

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