「駿河国正税帳」と木簡

 律令制下の税制は、

租(そ) (口分田1段に付き稲2束2把)、

調(ちょう) (繊維製品・食料品・金属製品などの特産物)・

調副物(そわもの) (正丁の調の付加税。 染料・油・塩など。 養老元年(717年)以降廃止され、その品目は「中男(ちゅうなん)作物」に継承される)、

庸(よう) (本来は歳役10日。郷土の産物で布や米など)、

雑徭(ぞうよう) (正丁は年間60日)

兵役 (正丁は3.4人に対し一人が軍団で訓練をうける)

仕丁(しちょう (50戸から正丁2人が選ばれ、3年交代で都で雑役に従事する)

などがある。

 これらに、強制貸付の意味合いの濃い「出挙(すいこ)」や「義倉(ぎそう)」や都への税を都まで送付する「運脚(うんきゃく)」なども考慮しなければならない。 これらの公民にかけた税の徴収によって、中央財政および地方財政は成り立っていた。

 田租(でんそ)出挙(すいこ)については、それらの年度ごとの運用状況を中央政府に上申した文書である天平年間(729年~749年)の正税帳が27通残っている。 そのうち、3通が天平9年(737年)と天平10年(738年)の「駿河国正税帳」と、天平11年(739年)の「伊豆国正税帳」である。
 これらはすべての部分が残っているわけではないが、断片の端々から正史からは十分にはうかがえない地方政治の実情が浮かび上がってくる。

 「駿河国正税帳」からは、国司らの正月の元日朝拝や部内巡行などの政務の実状や政務にあたっての食料給付の実際もつかめる。 また「伊豆国正税帳」には、ほかの正税帳にはみられない軍団関係の費用にあてられたと推定される「兵家稲(へいかとう)」の記載もみられる。

 中央財源にあてられた調や庸は、藤原京平城京などの都城から出土する木簡や幸いにも正倉院に残された墨書銘を記した布から、納税者の個人名・生地までもがわかる。

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 これらから、伊豆国と駿河国から鰹(カツオ)の製品・半製品の貢上が多かったことがわかる。
 また、遠江国の竹田郷から調庸布として「黄絁(きあせぎぬ)」を納めていたことがわかる。

 延喜式にみえる諸国からの調と庸

















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