(6)藤沢 ⇔ (0)日本橋
航空写真(日本橋 ⇔ 品川)
航空写真(品川 ⇔ 川崎)
江戸時代の米の単位
江戸時代の米の単位

江戸時代の米(コメ)の単位

鈴ヶ森刑場

鈴ヶ森刑場

江戸幕府の刑法では武士の死刑は切腹、死罪、斬罪、庶民の死刑には磔(はりつけ)、火罪、獄門、死罪、下手人があった。
死罪、下手人、斬罪はいずれも斬首の刑で、前2者は牢内の切場で、後者の斬罪は小塚原の刑場で施行されるのが通例であった。獄門は牢内で切った首を小塚原の刑場に運んで3日2夜晒し、罪状を記した捨札(すてふだ)を30日間たてた。
江戸東京学事典

「徳川刑罰図譜」に描かれた獄門首

刑を執行する場所を刑場と呼んでおり、これは死罪以上の刑のものを処刑し、また処刑した後を晒した。
牢屋敷の切り場、千住小塚原(普通浅草の刑場と呼んでいる)品川の鈴が森が刑場として有名で、他に板橋にもあった。牢屋敷内では斬首のみを行い、小塚原と鈴が森は磔、火焙り、獄門の場所であった。なぜ小塚原と鈴が森が刑場に選ばれたかというと、江戸に入る東西の入口で、宿場があり、往還が激しかったから、江戸幕府の警告・威嚇主義から人目につく場所を選んだのである。処刑人の捨札はこのほかに、両国、板橋、新宿という江戸に入る街道の入口にも立てられた。
江戸の司法警察事典
左イラストも同上

磔刑場の配置
歌川広重 保永堂版より「品川・日之出」
品川     1910年代撮影