(6)藤沢 ⇔ (0)日本橋
航空写真(箱根 ⇔ 小田原)
航空写真(三島 ⇔ 箱根)
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箱根宿はそれまで箱根山中に宿場が無かったことから、元和四年(1618年)箱根の山越えのた めに新設された宿場です。
小田原宿と三島宿から各50軒ずつを移住させ、小田原町、三島町を芦ノ湖畔に造りました。
さらに翌年に「出女」の取り締まりの厳しさで有名な関所が併設されたといわれています。
箱根は街道随一の難所で、過酷な急坂が多く、街道制定時、これらの坂は雨が降るとスネまで つかる泥道となるため、参勤交代の大名から不満の声が絶えず、竹道に変えられましたが、 毎年枯れるため、その調達と労力、費用がかさむため江戸幕府は延宝八年(1680)石畳を敷き ました。

【箱根宿の規模】
  本陣:6 脇本陣:1 旅籠:36 
  総家数:197軒 宿内人別 844人(男:438 女:406)
【江戸時代の名物】:甘酒、赤はら魚

幕末の三枚橋の写真(上)を見ると、当時は湯元に向かう道も橋を渡ってから分かれるような感じで ある(川の右側は山が迫り道が無いような感じ...)。
さて、現在の三枚橋を渡りすぐ右手に道祖神がある、道路は右にカーブし、急な上り坂となる。 息を切らせながら上っていくと、左手に湯元郵便局そして右手に湯元小学校が見え、 その上にこんもりと木が生えている場所が有った。
近づくと立派な山門があり、それが小田原北条氏の菩提寺、 早雲寺であった。
寺には北条五代の墓があり、また県の重要文化財の萱葺の鐘楼があり、しっとりと 落ち着いた寺であった。有名な寺の割りには見学の人も少なかった事に驚いた。 京都、鎌倉ならば当然のことながら高い拝観料を取るとこであろう。

幕末のベアトの写真集に箱根の写真があり(上)、その地形から女転し坂の手前の須雲川に 架かる橋の写真と思われるが、現在の旧道と比べ、道幅も広く石畳もしっかりしている事に 驚かされる。(もう1枚は女転し坂の上か橿木坂(かしのき)の上と思われるがここも広い.... ベアトも、疲れて休み写真を撮ったのだろう。

割石坂の由来は曾我 五郎が富士の裾野に仇討ちに向う時、腰の刀の切れ味を試そうと 路傍の巨石を真二つに切り割った所とのことである……。
石畳は江戸時代のものと、近年の整備による石畳があり、江戸期のものは近年のもとの比較して 角が取れている感じがした。
割り石坂の出口付近には接待茶屋があったとの説明板があった。平坦な土地が無いのに…何処に 建物があったのだろう?....

割石坂を出て程なく左手に箱根旧街道の石碑が右手に見える。 石碑の先は本当に旧街道か?と思うような短いが、急な坂が下の沢へと続いている。 倒木もあり、徒歩であれば理解できるが馬では通行困難と思われる道が沢の橋を渡るまで続く。 沢には大沢川が流れ、千鳥橋を渡ると再び石畳が現われ、要約街道らしくなる(狭いが…) これが大沢坂である。
風土記では千鳥橋は欄干のある石橋であるが現在は丸木橋…昔は今より道は整備されていたのか?
大沢坂の案内板には当時の石畳の道が一番良く残っているとある。

弥次喜多 箱根宿

歌川広重 保永堂版より「箱根・湖水図」
箱根宿 1890年代
箱根宿 手前の旅籠は「はふや四郎右衛門」
(現在の箱根ホテル) 着色写真