(6)藤沢 ⇔ (0)日本橋
航空写真( 箱根 ⇔ 三島 )
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江戸時代の時間

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江戸の物価

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江戸時代の貨幣

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三嶋大社
  三嶋大社の舞殿(手前)と拝殿である。また江戸時代には朱印地530石を領有していた。
  ここで源頼朝が旗揚げしたことで知られている。境内には「源頼朝旗揚げの碑」がある。治承4年(1180年)8月17日、蛭ヶ小島に流されていた頼朝が戦勝祈願をして、伊豆を知行国としていた平時忠の目代八牧(やまき)判官平兼隆の館に夜討をかけた、その記念碑である。
  境内には頼朝、政子の腰掛石、安達藤九郎盛永警護の跡碑があり、また政子が奉納した梅蒔絵手箱(国宝)や当時の美術品、古文書などが多数展示されている宝物館がある。

駅から始まる物語
弥次喜多の三島宿
弥次喜多の三島宿
弥次喜多の三島宿

 元々は、伊豆の韮山代官江川太郎左衛門(担庵)が、農民に
より組織した軍隊、いわゆる農兵隊の三島での軍事教練の
行軍に使用された歌(農兵節)とされている。この「農兵節」
が、三島の花柳界で「ノーエ節」となった。ノーエの歌詞の
部分は「農兵」とも「No Yes」の転化と言われている。
このいわれをみてみるとこの曲は、各地の祭のお囃子で採用
されているが「ノーエ節」でも「農兵節」でも間違いではない
みたいです。
 また、この曲は、明治時代の初頭、軍隊の行軍の行進曲
「野毛山」にもなり、現在では、落語の出囃子にも使用
されています。

農兵おどりの元祖 平井源太郎
市役所内 陣屋跡の発掘