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和田光平

兵庫県西宮市出身.
大阪,東京,名古屋,岐阜,福井を経て,
現在再び大阪に在住.
名古屋勤務時代に旧東海道ハイキングを開始し,
1994〜1997 partT 掛川〜京都を終了.
1997〜2001 partU 日本橋〜掛川を完歩.

和田光平氏の「沼津宿」が名文であるのでソックリ転用させてもらう

【平作地蔵】
沼津市大岡下石田の舖道の先に,ほんの少しだが,旧道があった.
そこを進むと,道の左側に四角い広場があった.奥に小さな祠がある.
それが平作地蔵尊であった.由来の案内板に描かれた絵が可愛いかった.
松の木の下に,荷物を背に,腰を抜かしたような格好のおじいさんと,向いに立つ若者が描かれている.地元の山王前自治会の方が作られたものだった.
絵のおじいさんが平作らしい.
伊賀上野の敵討ちをお芝居にした「伊賀越道中双六・沼津」に登場する重要な人物のようだった.私はこのお芝居をまだ見たことがない.
お地蔵さんは平作がいた茶店のあとに建てられたものとあった.
帰ってから少し調べてみた.
伊賀越道中双六は全10段の長いお芝居で,略して伊賀越と呼ばれる.
鎌倉から始まり,郡山,沼津,藤川,岡崎,伏見,伊賀上野と道中をたどる双六に見立てたお芝居になっている.
沼津の段は棒鼻・平作住家・千本松原の三場からなっている.

平作おじいさんは年老いた雲助で,ここで茶店をいとなみ,娘お米(渡辺数馬の妻)に店を任せていた.
その家に呉服屋十兵衞が泊まる.絵の中で平作の前に立っている若い男だ.
十兵衞は,たまたま足を痛めた平作の傷を,持っていた印篭の薬で救う.
それが絵にある沼津の場面のようだ.
それを知って,娘のお米が,傷に苦しむ夫の数馬を治したいばっかりに,その印篭を盜もうとする.
そのことから,十兵衞が股五郎と親しいことがわかり,平作のむかし別れた実子であったことも知れる.
事情を知られた,十兵衞は暗い内に宿を出てしまうが,その後を平作が追って行き千本松原で追いつく.あとから来たお米が薮に隠れて,その樣子を見ている.
平作おじいさんは仇の行方を教えてくれと迫る.
そして断る十兵衞の手に金を掴ませ,手を押さえた隙に,十兵衞の道中刀をそっと抜いて自分の胸に突き立て,ウームとうなる.
命がけとは,言いながら,なんともものすごい迫り方があったものだ.
「死にゆく仏の供養として聞かせてくれ」
その姿を見て十兵衞は遂に応える.
お米が薮にひそんでいるのに気付いているので,耳元でささやくところを,大声で決めるセリフが前触れ.
「どこに誰が聞いていないものではないが,十兵衞が口から言うは,死んで行くこなさんに餞別」そしてあの名セリフとなる.
「落ちゆく先は九州相良.吉田で逢うたと人の噂」
戸板康二さんの本には,やや詳しいセリフが載っていた.
「股五郎の落ちつく先は九州相良.道中筋は三州の吉田で逢うたと人のうわさ」
このくだりが,浄瑠璃のサワリで,確かに言葉といい,リズムといい,素晴らしい.

【荒木又右衛門】


三重県伊賀上野にほど近いところに,決闘の跡地,鍵屋辻(かぎやのつじ)がある.それにしても,決闘鍵屋辻とは,なんと引き締まった響きがすることか.
この有名な仇討ちは,江戸時代でも早期,寛永11年(1634)に達成されている.
荒木又右衛門(1599-1638)は,伊賀の国荒木村出身で,柳生十兵衞に剣を学んだ江戸初期の剣客だった.
義理の弟の渡辺数馬に助太刀し,門弟ふたりと共に,仇の河合又五郎,河合甚左衛門,桜井半兵衛などの一行を,鍵屋辻で待ち伏せし,36人斬りの見事な活躍をしたお芝居で有名になっている.
荒木は,チャンバラ世代にとっては,憧れの剣豪だった.
36人斬りだから荒木が一番強い剣豪だったとか,実際斬ったのは3人で,刀が刃こぼれして,とても36人は斬れない,やっぱり63戦無敗の宮本武蔵が一番だとか議論沸騰したものだった.
斬った人数で剣豪の強さを測るのだから,思えば野蛮な会話をしていたものだ.
昔の白黒映画に登場した荒木又右衛門は,頭に鉄板入りの鉢巻きのようなものを巻いていて,手裏剣を三本差した姿が,格好良かった.
手裏剣を投げ,ピンチの数馬を救うのが,映画の注目シーンになっていて,そのコントロールの良さが,野球少年達の共感を呼んだ.
鞍馬天狗のピストルと違って,手裏剣は技を求める魅力あふれる武器だった.
手裏剣を作成するために,五寸釘を拾い集め,金槌で叩いて平らにした.
根気良く叩いていると,手裏剣そっくりになった.その即製手裏剣を利用して板塀相手にヒョーと投げ,突き刺さるのを楽しんだ.
本物の手裏剣は,どうも映画のそれとは形状が違っていて,寸胴の鉛筆風の武器で,初めて見た時はがっかりした.

数年前に「決闘鍵屋辻(かぎやのつじ)」と題したTVドラマがあった.
主演は仲代達矢で,決闘に至るまでの人間的な側面に重点が置かれていた.
複雑な親戚関係にはさまれ,仇討ちに助太刀する覚悟を決めるまで隨分と悩み抜く.大事な義理を捨てて,やむなく義弟に助太刀するといった話であった.
このTVドラマで知ったのだが荒木の晩年は不幸であったようだ.
仇討ち後は,田舎に蟄居させられ,これといった事跡もなく過ごしたようだ.
我らがヒーローは,チャンバラ映画のように華やかではなく,生涯に一度,鍵屋辻で燃焼し,静かに消えていった人物だったのだ.
その苦澁に満ちた武士の内面を仲代達矢が見事に演じていた.

千本松原

歌川広重 保永堂版より「沼津・黄昏図」
沼津   1910年代 撮影