(6)藤沢 ⇔ (0)日本橋
衛星写真(興津、由井、蒲原、吉原、原)
衛星写真(静岡県)
衛星写真(伊豆半島)

保永堂版

鶴の親子が描かれている。
黄色の鶴は幼鳥である。
成長するにつれ白くなる。
この当時は日本中に鶴は居た。

鶴と日本人(八木洋行先生談より)
  鶴は江戸時代には日本中にいた。
江戸時代の日本人は鶴の案山子を利用して、結構、捕獲していたらしい。
特に東北地方で盛んだったらしい、 捕獲した鶴は、食肉用は勿論、つるの胸毛部分の羽毛(ダウン)が
高く売れて結構な現金収入になったそうです。 そういえば「鶴の恩返し」で鶴が機織する昔話がありますが
鶴の羽毛と機織、実は江戸時代結構、日常茶飯事なことだったのですな。
そして広重の各地の絵が江戸時代の植物・動物の生物歴史として役立っているそうです。

江戸時代〜昭和40年代まで、女性がキセル(煙草)を吸う絵が幾つかあるが
これには理由があった。 女性にとって旅(行商などの日帰りも含めて)は女性なるが故の危険が多々あった。 そこで時には男装して、煙草を吹かし男になりすまして危険回避する目的で喫煙したようである。

   八木洋行先生のお話では、昭和の30年代まで焼津の嫁さん達にも煙草飲みが多かったそうである。
焼津の浜では、昔カツオが漁獲されていたそうである。 そのカツオを業者が丘の上に買いに来たそうである。 そこで現金収入の欲しかった地元焼津の嫁さん達が、浜に陸揚げされたカツオを丘の上まで担いで運んだそうである。 運び賃が貰えたそうである。 そのとき、カツオの内臓(ハラワタ)を無料で貰えたそうである。 そのハラワタを家へ持って帰って、シオカラに加工して、それを菊川や掛川、島田のほうまで行商で売りに歩いたそうである。
                            
       さらにカツオの肝から目薬(雑草取りの際の目の痛みを和らぐ効果があったそうである?)をも近郊の部落へ売りに歩いたそうそうです。 行商で稼いだ金で真先に買ったのは、自転車だったそうである、自転車があれば売り歩きの距離が稼げる、販売競走に有利になるからである。 早朝に出て、出来るだけ遠距離の地域に売り歩き、暗くなって夜道を家路に向かうことになる、となると女性にとっては怖い場所が3ヶ所ほどあったそうである。 そこで、男装をして煙草(キセル)を吹かし、わざと男のような乱暴な言葉使いをして、難を凌いだのそうです。
  そうして、稼いだ金で子供服や運動会のときのズックを買ってやったそうです。 八木洋行さんによると「聞くも涙、語るも涙」の話がいっぱいあるそうです。 地元菊川の住民(熟年の?)も子供の頃、焼津や吉田の方から、行商の女性達が大勢売りにきてたのを覚えているそうです。 しかし20年前頃から行商もスッカリ姿を消してしまったそうです。 自転車のほか乳母車もあったそうです。
                                                               

菊川には魚屋は無く、もっぱら行商の干物魚にたよっていたそうです。 そのせいか、地元の静鉄ストアーでは、驚くほど魚コーナーに種類が少なく、私のように他所から移住してきた者にとっては、驚きでもあり謎でもありましたが、 なるほど、このような郷土の歴史があったんですね。 納得。

焼津の行商の嫁さん達
歌川広重 保永堂版東海道五十三次より「原」
原  1910年代 撮影