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昭和初期の「吉原」

吉原商店街マップ

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吉原宿は当初現在のJR吉原駅付近にあった(元吉原)が、1639年(寛永16年)の津波により壊滅的な被害を受けたため再発を防ぐため内陸部の現在の富士市依田原付近に移転し(中吉原)、1680年(延宝8年)の津波により再度壊滅的な被害を受け、更に内陸部の現在の吉原本町に移転した。このため原宿 - 吉原宿間で海沿いを通っていた東海道は吉原宿の手前で海から離れ、北側の内陸部に大きく湾曲する事になり、それまで(江戸から京に向かった場合)右手に見えていた富士山が左手に見えることから"左富士"と呼ばれる景勝地となった。往時は広重の絵にあるような松並木であったが現在は一本の松の木が残るのみである。

平家越え
水鳥の羽音を,源氏の夜襲と驚きあわて,平家の大軍が総崩れする事件の起きた場所だとあった.
それは富士川の右岸(西側)のはずだがと,不思議に思って解説を読んでみた.
解説によれば,富士川は,天竜川と同じように昔は現在地より5キロばかり東のこの辺を流れていて,平安の頃はここが富士川の右岸であったらしい.

  平家軍が富士川西岸,清見ケ関に到着した頃には軍勢は7万に膨らんでいた。
平維盛はこのまま進んで広い関東平野で戦おうと言うが,
上総守忠清が反対する。
軍は東海道沿いに長く伸び,
ここで一旦体勢を整えてから前進すべきだと進言したのだ。
それが10月16日であった.
  一気に足柄峠を越え,前進する時間は十分あった。
関東平野に入ってしまえば敵情がかなり正確につかめただろう.
進軍を止めた忠清の判断は,どうみても失策であった.
一旦楽をした軍の士気は絶対に低下する.それも日を追って.

【水鳥の羽音】  


富士川の水鳥事件が起きるのは10月23日の深夜,
この間8日間も平家軍は,この地に逗留している.
この間にまだ遭遇せぬ敵のイメージが拡大していく樣を
平家物語は見事に描写している.
物語は,まず旅の下男を登場させる.
彼は主人佐竹太郎の恋文を京まで運んでいただけなのだが,
訊問されて,街道には人のうわさだが20万の源氏の兵がいると聞いたと話す.
これで敵勢力がたちまち平家の3倍にふくれあがったと思った。
  次に関東武者の強さを知りたくなった.
そこで今は平家に仕えているが,
元源氏の武将で武勇聞こえる斉藤別当実盛に問い掛ける.
斉藤の強さは普段13束の矢を使うことで知れ渡っていた.
束とは手の幅ひとつかみを言う.長い矢を引く武者ほど強い.
実盛は,問われるままに語り始めた.
「皆が12束の矢を使う中で,
私が13束の矢を使うからといって驚いていてはならない,
源氏の武者は15束でも引ける者が沢山いる.
  また一騎で500人を相手とし,親が死のうが,
子が死のうが,その屍を踏み越えて戦ってくる。
しかるに平家の若者は,親が死んだといって戦を中止し,
すぐに都へもどってしまう。
親もまた子が死んだといっては戦いを中止する.」
  一同,思いあたる節があってしゅんとしてしまう.
こんな話で源氏の強さのイメージを強烈に全軍に与えた後,
「それでも戦いは兵の数や強さで勝てるものではない」と言い放つ.
一同は,希望が見えたと思い,かたずを飲んで次の言葉を待った.
「将軍がしっかりしている軍が勝つ!」
皆は一斉に大将軍平維盛の表情を見たが,
その頬はピクピクと痙攣していた.

  やがて源氏の軍勢が対岸に現れ,
翌10月24日の卯の時(午前6時)に
源平の矢合わせが行われることになった。
  近隣の住民は,危険を避け,あわてて野山へ,海へと逃げだして行った.
その夜,平家の陣営は対岸を見渡して驚いた,
野にも山にも点々と火が見えたのだ.
それを見て源氏の兵力は20万人では済まないと彼らは思った.
昼間に逃げた近隣住民が燃やす炊事の火であったのに,
おじけずいた平家は,これを源氏のタイマツだと思い込んでしまったのだ.

  この戦いは,戦さ経験の無い将軍が率いる部隊と,
連戦を重ねてきた猛勇の源氏とが初対戦したところに不幸があった.
全軍の士気が極端に落ちていた上に,
極度の緊張が生んだ一瞬の誤認が拡大してしまったのだろう.
ともかく平家は深夜の水鳥の羽音に驚愕し,敗走した.
この事件を境に,平家の勢いは急速に衰えていった.
  おそらく世界の戦史においても,
7万もの兵力が,
一戦も交えず対岸の敵と対峙した日の夜に敗走した例は,
他にないであろう.

平家物語

葛飾北斎 富嶽三十六景より「駿州大野新田」
撮影データ不明「富士沼」
歌川広重 保永堂版より「吉原・左富士」
1910年代撮影   吉原 左富士