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航空写真( 府中 ⇔ 江尻 )

静岡市「長沼」は私の故郷。 下の写真は昭和32年(1957年)当時の「長沼」、 我家や「日東紡績」遠くには日本平が見える、田圃も多くあった、が今は住宅街となってスッカリ様変わりしてしまった。

長沼は静岡市の外れだったが清水市と統合されて今や静岡市の中心に位置する。
子供の頃の実家は現在も兄夫妻が住んでいる。 写真の中央の一軒家である。

上の写真は、私が中学の時に愛宕山から撮影したもので、3枚をパノラマ風に切り貼りしたものである。 いや〜ぁ!懐かしい。(^_^.)

切り貼り写真を多少修整を加えてみた。

弥次喜多 府中宿

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江戸時代の時間

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上の写真中央は、子供の頃の遊び場でもあった「久應院」写真を見ると新築されている。 昔は古寺だった、優しいお爺さんの和尚さんがいた。 その向えに長沼の一里塚がある、昔のまんまの姿である。 このあたりの東海道は道幅は約6mぐらいだったような記憶がある。 北側に小川(川幅2m)があって西から東へ流れていた。 鰌や鰻、鮒、ザルガ二をタモを使って捕獲したりした。 この一里塚のすぐ西側に駄菓子屋「大黒屋」があった。 毎日の小遣いが5円だった。 お婆さんと娘さん(当時20歳代の)が店番をしていた。 当時、このあたりの街道には松が何本かが残っていた。 がもう松は残っていないだろうな?
家の前には「べんさん」という酒屋兼雑貨屋があって、毎朝8時ごろになるとパン屋がオート三輪で納入に来ていた。 空腹の子供にとっては、パンの香が何とも妬ましかった。 コッペパンは1個10円であって、子供の小遣いが5円では手の届かない憧れの(観るだけの、嗅ぐだけの)コッペパンであった。 学校給食で出る脱脂粉乳と味の無いかすれたパンとは雲泥の差があった。 貧しい貧しい終戦後の日本であった。 でも懐かしいな〜ぁ?

私の故郷「長沼」

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