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大井川にかかる蓬莱橋は全長897.4m通行幅2.4mの木造歩道橋です。この橋は今では数少ない賃取橋として有名となっています。また平成9年12月30日に「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてイギリスのギネス社に認定されました。蓬莱橋は農道としての重要な役割を担うほか、貴重な歴史的土地改良施設として県内外からの観光客も少なくありません。

蓬莱太鼓

有名な川越場所はなんといっても大井川でしょう。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と川柳にも詠われたように、ここは難所中の難所でした。この川は川幅は広かったのですが、水深はなかったので歩行渡しでした。

具体的な歩行渡しの手段ですが、手引渡し、肩車渡し、蓮台渡し、目こぼし渡しなど様々な方法がありました。手引き渡しは、人足に手を引かれて渡ることで、肩車渡しは文字通り人足に肩車されて渡河します。蓮台は簡単な格子形のものや、人の乗った駕籠をそのままのせれるように板の台に棒を通したものがありました。目こぼし渡しというのは人足を雇えない人が案内なしに渡る手段でした。基本的には違法ですが、幕府もめこぼししていたようでこの名がつきました。ただ時には溺死する人もいたといいます。

どれぐらいの人数が渡河に必要だったかというと、古い記録では徳川家康が渡河したときは三百五十人にのぼったといいます。これは前方に水切り人足といわれる人たちを大量に配置したからだと思いますが、とにかく大変な人数が必要だったことが分かっていただけると思います。蓮台渡しで一台につき四人程度、馬一匹に二,三人程度というのが平時でした。これが増水時とかになると人足の数も増えてきます。渡航賃は人足一人あたりに対して支払いますので、このあたりも馬鹿になりませんでした。

またある一定以上増水した場合は、川留めといって渡河禁止になります。このため川の両岸の宿は何日も川留め客でにぎわうことになったといいます。

大井川観光マップ

大井川観光マップ

「雲助」について

島田の帯祭り

江戸時代、大井川の宿場町として栄えた島田市は、三年に一回、島田大祭の秋祭りを催し、元禄絵巻を繰り広げる。
 幕府直轄地で城下町ではなかったのだが、祭りの大名行列は十万石の格式を誇る。拍子木を合図に槍、鉄砲、弓などが続き、大鳥毛が空に舞い、可愛い若殿が騎馬姿で登場する。
 中でも二十数名の大奴たちが蛇の目傘を片手に、腰に差した二本の木太刀に華麗な帯を垂らして練る様は圧巻で、「帯祭り」とも呼ばれてきた。江戸時代、島田へ嫁いできた花嫁が、氏神様へ帯を締めて参拝した名残といわれ、人目を引く帯の豪華さは、昔から何かと注目されてきた。

少年たちによる鹿島踊り

  少年たちによる格調高い鹿島踊りは、江戸時代、疫病流行の折、疫神退散を祈願して始められた神事舞。鈴の音を響かせ、きびきびと周辺を清めていく。
 大井神社の神輿渡御に、各町の屋台が続き、踊り子たちが道いっぱいに広がって手踊りを披露。観客を巻き込んで祭りを楽しむ。

格式高い大名行列は多いが、注目すべきは、25人の大奴です。
両脇にさした木太刀に安産祈願の丸帯を下げ、蛇の目傘をさしながらゆったり舞うように練り歩きます。
その様子は、島田大祭の大名行列以外では決してお目にかかれないものです。
又、道具廻りが勇ましい掛け声で進みます。

「静」と「動」の対比が妙・・・
最終日には、本陣入りが再現されます。

その昔島田では、よそから嫁いで来た花嫁は、大井神社へ氏子になった報告と安産祈願をした後、晴着のままで町並みを披露する習わしがありました。しかしこれでは女性が見せ物のようで気の毒だ・・・その代わりに女の命「帯」を身代わりにし、大井神社の御神輿渡御の警護に当たる山伏の格好をした大奴の木太刀に飾ってもらい、安産祈願と町並み披露を行うことになったのです。その当時島田では、親たちは嫁入り道具の中で特に帯に気を配り、全国の流行の帯や稀れな逸品が集まるようになったのです。
このようにして、大井神社の大祭にこの帯の披露が加わり、あでやかに華を添える事となりました。

丸帯

帯祭りのイワレ

バラの丘公園
嶋田 大井川 渡し船 1910年代撮影