(6)藤沢 ⇔ (0)日本橋
衛星写真 (26)掛川、袋井、見附、(29)浜松
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袋井宿(ふくろいじゅく) は旧東海道宿場で、五十三次の宿場の数では江戸から数えてもから数えても二十七番目で中間点にあたる。他の宿場より少し遅れて元和2年(1616年)までに整備された。

現在の静岡県袋井市中心部にあたる。周辺に遠州三山をはじめ歴史ある寺や神社が点在し、それらのいわば門前町の形で栄えた。

遠州三山

法多山尊永寺(はったさん)

法多山は、寺号を尊永寺と称し、高野山真言宗に属し本尊正観世音菩薩は俗に厄除観音として知られています。神亀2年(725)、聖武天皇の勅命を受けた行基上人は大悲観音応臨の聖地をこの地に探し求め、自ら刻んだ本尊観世音菩薩を安置したのが縁起といわれています。
 本尊の霊徳は遠く京都に及び、白河、後白河天皇の勅願あつく定額寺の列に加えられていました。その後今川、豊臣、徳川等武将の信仰を得て特に慶長7年家康公五万石の格式を以って遇せられ、一山十ニ坊の法燈が栄ましたが、明治維新に朱印地返還、十ニ坊を廃して総号尊永寺と改め今日に至りました。

厄除だんご

油山寺(ゆさんじ)

石油が湧出した所から「油山寺」の名が付いたと伝えられる
以来、特に目の守護、眼病平癒のお寺として信仰を集める。また、一山の守護神軍善坊大権現は足腰の神として古来より東海道を往来する旅人の信仰を集める。

可睡斉(かすいさい)

11代目の住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は、幼い徳川家康とその父を戦乱の中 から救い出し かくまいました。

その後、浜松城主になられた徳川家康は、親し く和尚を招いて旧恩を謝し、その席上でコクリコクリと無心にいねむりをする和尚を見て徳川家康はにっこりせられ

「和尚我を見ること 愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚 、眠るべし」 と申されました。

それ以来仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は「可睡和尚」と称せられ、後に寺号 も東陽軒から「可睡齋」と改め、駿河、遠州、三河、伊豆四ヶ国の 僧録司(そうろくす)という行政取締役の職をあたえ拾万石の待遇にせられました。

 以来、可睡斎歴代の住職は高僧が相次ぎ、名実ともに東海道における、禅 の大道場として面目をほしいままにしております。

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可睡斉には「ぼたん園」と「ゆり園」がある。

袋井 1910年代撮影