(6)藤沢 ⇔ (0)日本橋
衛星写真 (30)舞阪、荒井、白須賀、二川、(34)吉田
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江戸時代の時間

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五十三次道中記

荒井宿

渡し舟は荒井の関所につく。
「入り鉄砲に出女」といって
厳しい関所。
女は素裸にして調べたという。

喜多さんよ、きびしかったな。
気の毒なのは夫婦連れ
婦人は素裸だあ。

あの役人の面見ると・・
あんなやつら、ろくな死に方を
しないぞ!!。

五十三次道中記
五十三次道中記

公式ホームページ

 (1)新居関所・史料館
 (2)旅籠 紀伊国屋資料館
 (3)応賀寺
 (4)寺道
 (5)諏訪神社(遠州新居手筒花火)
 (6)浜名湖今切パーク海湖館
 (7)新居弁天海釣公園
 (8)新居弁天わんぱくランド
 (9)新居弁天海水浴場
 (10)大倉戸観光農園
 (11)浜名湖競艇
絵の別解釈
荒井 関所跡  1910年代 撮影
舞阪と新居の間に明治44年に架けられた弁天橋
関 所

関所(せきしょ)とは、交通の要所に設置された、徴税や検問のための施設である。単に(せき)とも。陸路(街道)上に設置された関所は「道路関」、海路に設置された関所は「海路関」とも呼ばれる。陸路では、河岸に設置されることが多い。

古代

日本では古代に既に制度化されており、東海道鈴鹿関東山道不破関北陸道愛発関畿内を防御するために特に重視され、これを三関という。三関から東は東国または関東と呼ばれた。平安時代中期以後は、愛発関に代わり、逢坂関が三関に加えられた。

三関のほか、東海道の駿河・相模国境には足柄関、同じく東海道の常陸・陸奥国境には勿来関、東山道の信濃・上野国境には碓氷関、同じく東山道の下野・陸奥国境には白河関北陸道越後国出羽国国境には念珠関がそれぞれ設置された。このうち、念珠関・白河関・勿来関を「奥羽三関」という。

中世

中世には、朝廷政権や武家政権、荘園領主・有力寺社などの権門勢家がおのおの独自に関所を設置し、関銭(通行税)を徴収した。室町時代には京都七口関が設置され、京都に入るにはいずれかの関所を通行せざるを得ない状況が生まれた。

戦国時代には、各地の戦国大名が領国の一円支配を強めた結果、多様な主体が銘々に設置する関所は否定され、次第に減少していった。天下統一事業を遂行した織田信長豊臣秀吉は、関所の廃止を徹底して実施した。

近世・近代

江戸時代には、江戸幕府や諸藩が、軍事・警察上の必要から再び関所を設置した。主な関所には、東海道箱根関新居関鈴鹿関中山道碓氷関福島関甲州街道小仏関日光街道栗橋関などがある。

これらの関所を通行しようとする者は、通行手形を提示し、関所による確認を受けた。特に江戸から西方へつながる東海道沿いの関所では、女性と鉄砲の通交が厳しい制限を受けていた。これを「入り鉄砲・出女」と言うが、江戸在住の大名の妻が密かに領国へ帰国することと、江戸での軍事活動を可能にする江戸方面への鉄砲の流入の2つが、幕府によって厳重に規制されたのである。また、芸人力士などは通行手形の代わりに芸を披露することもあった。関所破りは重罪とされ、磔刑に処せられた。

日本における関所は、1869年明治2年)に完全に廃止された。

新居関所

新居関所は、正式には今切関所といって、慶長5年(1600)に設置されました。創設当初は浜名湖の今切口に近い、現在「大元屋敷」と呼ばれている場所にありました。しかし、地震や津波などの災害で幾度も移転を強いられ、現在地は三度目の場所です。
江戸時代には面番所・書院・番頭勝手・給人勝手・下改勝手・足軽勝手・女改め長屋などの施設がありました。このうち現存する建物は面番所・書院・下改勝手・足軽勝手で、安政2年(1855)に建て替えられたものです。
新居関所は明治2年(1869)の関所廃止礼によって約270年にわたる歴史に幕を閉じ、それ以後は小学校や役場として使用されました。昭和30年(1955)に国の特別史跡に指定され、さらに昭和46年に解体修理工事を行い、現在では全国に唯一現存する関所史跡として大切に保存されています。

慶長5年(1600)に天下を統一した徳川家康は、まず交通路の整備につとめました。江戸時代の主要な交通路は江戸を中心とした五つの幹線の五街道で、このほか五街道から分かれた脇往還がありました。各街道には宿場が置かれ公用荷物の継ぎ送りのために人馬が常備されました。
また幕府は、江戸防衛を目的として各街道の要所に関所を設置しました。関所では、俗に「入り鉄砲に出女」といわれるように、江戸に持ち込まれる鉄砲や武器、そして江戸から京都方面へ旅する女性の通行に対して特に厳しい取り調べを行いました。

関所を通るためには、関所通行の許可書でもある関所手形が必要で、関所手形は別名を証文、または切手ともいいました。手形の種類には女・鉄砲手形をはじめとして、乱心・囚人・首・死骸手形・特殊なものに書換・置手形・入津・出船手形がありました。
関所の取り調べのうち、とくに厳しかったのが女性の通行と鉄砲の移動で、手形の内容に少しでも間違いがあると通してくれませんでした。また、関所を通らず、密かに山越えや海越えをした者は関所破りとして、当時としては重い刑に処せられました。