(6)藤沢 ⇔ (0)日本橋
航空写真( 藤川 )
旧国名を表示する

米の単位

米の単位を開く

江戸時代の時間

江戸時代の時間

江戸の物価

江戸の物価を開く

江戸時代の貨幣

江戸時代の貨幣のサイトを開く

藤川宿(ふじかわしゅく)は、東海道の江戸品川からかぞえて37番目の宿場。 但し、藤川宿周辺の住民はほとんどの場合、(ふじかわじゅく)と読む。 藤川宿資料館があり、資料が閲覧できるほか、専用の駐車場もある。

約1キロメートルの間にクロマツが約90本、胸高あたりの太さは約2メートル、高さ約30メートルになるものもあります。この松並木は、昭和38年に岡崎市指定の天然記念物になっています。

宿場の西の出入り口を示したものです。

松尾芭蕉が藤川を詠んだ「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」にちなみ、地元の方々の手によりむらさき麦の栽培が再現されました。毎年、5月中旬に色づきます。

脇本陣は、江戸時代、本陣の予備に充てられた宿舎のことで、入り口の門は、250年以上前に建てられたと伝えられ、藤川宿では最も古い遺構と思われます。現在は、「藤川宿資料館」となっています。

宿場の東の出入り口を示したもので、江戸時代の浮世絵師、歌川広重が、「東海道五十三次」の中で、藤川宿の棒鼻を描きました。「藤川宿」といえば、「棒鼻」といわれるぐらい藤川の象徴となっています。

東海道五拾三次 藤川 歌川広重
佐野屋喜兵衛より天保末年頃刊行されたもので、図中に狂歌が記されているために狂歌入東海道と呼ばれる。 絵の罫外左下には極印と版元名「佐野喜」が朱で入れられている。竪絵東海道と同様の雪景色の藤川を描く。

狂歌は次のとおり。
行過る旅人とめて宿引の袖にまつはるふち川の駅    常盤国繁躬

藤川 山中の里別名宮路山 歌川広重

広重晩年の安政2年(1855)、蔦屋吉蔵により刊行されたシリーズ。 蔦屋は嘉永頃にも横中版の東海道シリーズを刊行しており、これと区別するために料紙を竪に使った図柄から竪絵東海道と呼ばれる。 雪景色の藤川を描く。広重筆の落隷の下に「卯七」の刊行年月の印と版元の印がある。

藤川

絵師は雪和かと読めるが不祥。「東海道五十三次十八」の標記は京を起点に宿場を数えている。

東海道 藤川 歌川広重

雪景色の藤川宿を描く。このシリーズは有田屋清右衛門の版元によるもので版元名により有田屋版と呼ばれている。 名主「濱」の単印により天保14年(1843)より弘化4年(1847)までのものと推定される。画は初代広重の作品。

東海道 藤川 歌川芳虎

文久3年(1863)に行われた14代将軍徳川家茂上洛の行列を描いたシリーズで、ほとんどの図に行列風景を描くので行列東海道・御上洛東海道と呼ばれる。 本図は版元が佐野屋富五郎で、改印「亥四極」より文久3年4月の刊行年が知られる。

横九つ切判の摺物風の東海道シリーズで、北斎画の著名はあるが版元・刊行年は不明。 本シリーズは大津と草津が一図にまとめられているために54図からなる。 藤川の本図は内風呂を描く。 保存状態は良いが、左右が少し切られているのが惜しまれる

藤川 葛飾北斎
五十三次 藤川 歌川広重

このシリーズは嘉永5年(1852)村田屋市五郎によって刊行されたもので、風景よりも人物を主として描くので人物東海道と呼ばれる。 木ちん宿内の人物、その前を通る巡礼者などの旅人を描く。 右下に「馬込」と「濱」の各主印、左下に嘉永5年(1852)2月の「予閏」の改印がある。

東海道中栗毛弥次馬 藤川 落合芳幾

絵師は「弥治楼芳一九」とあり、落合芳幾(よしいく)と考えられる。戯題は仮名垣魯文が書きいれている。 版元は品川屋久助、刊行年は「申四改」の極印より万延元年(1860)4月である。